浪人して京大落ちた人の箸休め~'18

昔浪人して京都目指してました。

勢いを失わないスパンで勉強

予備校の前期の授業がほぼ終講し、いよいよ夏休みということで、お決まりの「絶対に達成できない夏休みの計画」を立てようと思います。

「絶対に達成できない」などと言ってはいますが、見栄をはって計画立てるよりも現実的で志は高いです。
それに、「達成できない=/=不合格」なので心配などはしないで良いです。
というわけで、実際に立てていきます。

その前に、今日の本題の、勢いを失わないスパンというのを考えてみます。
一般的に何事も続ける事が苦手な人の事を「三日坊主」と言いますが、自分は三日も続かないと思ってます。
自分なら「0秒坊主かつ一日坊主」と言いたいところです。0秒とは、初める瞬間なので、手をつけずに一日が終わるという意味です。

以前にも書きましたが(タイトル「ノリ勉」にて)、勉強の辛い瞬間は2つあり、そのうちの初める瞬間の対策を追加で少し話します。
今回は、邪魔なものをなくしていくイメージでの対策で、特に夏においての環境を作っていきます。

まず、これは年中そうなのですが、スマホをどうにかする。
気合いでなんとかなる人なら良いのですが、そうでない人が多数と見てます。
例えば、先にスマホをやって後から勉強なんてのは中毒者には逆効果です。
満足するまでやるなんてのも、当たり前ですが無理です。数時間で満足するなら、今まででもうとっくに満足してやめてるはずですしね。
なので、どちらかといえば全く使わないのがベストだと思います。
そして、その時のメンタルとしては、我慢してるといった事を考えないようにします。そして、元々スマホなんてなかったんだという事を自分に言い聞かせて、手持ちにあるのは受験勉強の為の武器のみだと思い込むのです。
そして、目には目をではないですが、中毒症状には中毒症状を作戦でいきます。
つまり、スマホを触ることで得られる快感物質を出さないかわりに勉強で達成感を得ることで快感物質を得て、脳に勘違いさせて勉強中毒に切り換えるのです。
理論的にはいけそうですが、実際は難しそうで、ポイントは「我慢してると考えないこと」ですね。
幸せというのは相対的で、それと同じように普段の生活にスマホがあると勉強を不幸と思いやすいので、そこからスマホを出来るだけ消すのです。そして、そのポジションを無理矢理勉強にしていき、脳に錯覚させることが目標です。

次に、暑さ、湿度の対策です。
まず、暑いとやる気になりませんよね。自分もそうです。イライラしてきます。寒いのは耐えられるというか、勉強への影響が少ないのでまだましなのですが、暑さはどうにも慣れません。なので暑さ、湿度をどうにかする。
暑い時間はだいたいいつ頃でしょうか。
自分の住んでいる地域では、朝の10時くらいから熱が部屋にこもってきて、夜の8時くらいまではその熱がずーっと続きます。今はまだ夜になれば風は涼しいですし、窓を開けて換気すればそれなりに過ごしやすい気候にはなります。
でも、朝の10時から夜の8時まで勉強できないとなるのは痛すぎますよね。
だからといって極夜型にするのに、夏期講習もありますし、あまり良い方法とは思えないので脚下。
なので、クーラーつけましょう。涼しくしましょう。それで良いです。ちょっとの罪悪感がチョコになります。
つまり、「せっかくつけてるんだから」の心理です。
すんなりクーラーつけるのはもったいないので、ちょっと溜めてからつけるという案を出しました。罪悪感を感じてみてください。クーラーをつけたら屋外の人が余計に暑くなります。クーラーは電気代結構かかります。クーラーに弱いなら体調をくずす恐れだってあります。そのくらいは考えてつけるようにします。(実際にそうですから)
あと、風鈴をつけるってのも落ち着くかもしれません。水分補給も忘れずに、冷たいものを飲みすぎてお腹を壊さないように。

スミマセン、脱線しすぎたので次回続きを書きます。
ばいちゃ。

他人の学歴だけはやたらに覚える

どうもこんばんわ。予備校生Yです。

一応、自分は予備校行ってる人間で、その上、京大なんつー日本ではそれなりに知名度の高い大学目指している訳もあって大学名にこだわりがないといったら嘘になっちゃうんですけど、
大学名なんてなんの意味もない!自分の名前だけで生きていくんだ!
と肝に命じて「学ぶため」に大学を目指しているわけでございます。

大学を遊ぶ場所でもなく、就職訓練所でもなく、ただ自分の学びたいことを学ぶ場所として捉えていたいです。
京大にも「学ばぬ者は去れ」といった言葉があるらしく、京大生といってもそういった人は多くいるそうなので自分はしたい勉強を楽しんでいる側の人間でいたいですね。

自分自身高校入ったときは「勉強するぞ!」そんな意気込みでしたが、当然予想外に色々あって、楽しんだり苦労したりして今があるわけです。人によりけりですけど過去の苦労がその人の意思を固くするというか、「せっかく努力したんだから」といった考えで真剣になることもあるでしょうね。だから、大学入ってまた勉強しなくなるとは言い切れないことに期待して今日も夢を見てるんですね。

ところで、今日のテーマの話です。

上記のように思いたいのですが、いかんせん自分の体は過去の経験を正直に語るらしく「学歴大好き」なんですね。
いくら、ホントに気にしてない!学歴なんてくそ食らえ!といったところでそれが自分の今の本音らしいです。
ここに書きたくないくらい恥ずかしい事実で、自分が悲しくなってくるんですが、自分に嘘ついてても虚しいだけですし、そんな自分もチョコにして食べちゃって力に換えることが今のベストパフォーマンスだと思ったので書きました。

これを「チョコにする」のは容易かと最初は思ってたんですが、学歴を直接受験勉強に繋げるのって難しいですね。
例えば「なにか熱中してるものがあってそれの知識ならすぐ覚えちゃう。」というのであれば、熱中するその力を勉強に応用できますが、自分の場合は趣味:学歴集めではないので、そんなんでもないですよね、、、、

他の手を考えると、
「ここから学べる事」をまずは調べることに、、、

おそらくこれは感情を付随すると覚えやすくなるという事実の証明になってます。
自然とその事について興味が湧いていたので覚えやすさが倍増したのかと思います。

それともうひとつ。
記憶をグループ分けすると覚えやすさが上がるということです。
自分が覚える(=興味が高い)ところは、多くが有名大学で、だいたい20~30大学に限られているので、新しく名前を覚えるというよりかは、仕分けをしていくイメージで記憶していってるのだと思います。なので、人の名前を聞いたら、「その人は~大学だ」と分かるわけで、(その逆は苦労するのですが)その覚えかたを応用すれば役立つかと思います。

実例は、、、んー
すぐには出てこないので試行錯誤しながら使えるやり方を編み出していきます。

今日はこの辺で。ばいちゃ。

一言メモ

日常生活の中での自分の頭の中は基本二通りです。

考えるor考えない

そりゃそうですなんけど、考えないというのはあえて何も考えないようにしているときのみで、他は「何かしら」をずーっと考えてます。

自分でもその実体が掴めなくてもどかしいのですが今、なんとかして探りを入れ始めています。

まず最初の作戦は、「一言メモ」です。

やることもそのまま、なにか考えたらその事について逐一メモを取るだけです。

そうして昨日の昼から過ごした結果が以下の通りです。

多少無理矢理言葉にしたのもあります。

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今見返すと、メモった記憶もないものもちらほら、、、、

なに考えてるかわからん自分を見つめ直すと恥ずかしくなってきます。
大抵が電車の中とか、休み時間とか、先生の雑談中だったりに考えてる事ですね。
もうちょい様子を見てみます。

ブログの題名も大体がこんな風にふと思いついた事を書いているのがほとんどなので、後で自分のブログを見てその時の記憶が甦ってきたりして興味深いですね。

今日はそれだけです。ばいちゃ。

666

この雨の多さと湿度の高さは梅雨を感じさせてくれますね。

せっかくの梅雨なのに今年は紫陽花も見ることなく終わってしまいそうなので、近くの小学校の入り口らへんに咲いている(であろう)紫陽花でも見にいこうかと思います。

去年は部活引退してから運動量が減っただけで、食事量がそのままだったために10キロ以上太ってしまって4月になっても70オーバーが続いててさすがにマズいなということで痩せようかな~と何となく考えてたのですが、なかなか実行する気が起きなくて放置してました。

それで、ようやく最近体調を整えるという意味も込めて運動を始めたんです。

それで、なんとか5キロほど落ちまして、66.6にまでいったんです。

なぜ66.6を強調するかというと、毎日テキトーなタイミングで計るのですが、なぜかいつも66.6になるんです。

ご飯食べたりすれば1キロくらいは普通に増減しますし、常に変動してるのですが、ちょうどこの数字が連続で出たので強調してみました。
それだけです。
どうでもいい話でした。

浪人生のブログなのに、最近は全然勉強について書いてない気がします。

ネタがないってのもありますが、メンタル面で書きたいことが多かったからでしょうかね。。。

まあでも今回も勉強についてはパスで笑



昨日は夜9時くらいにふと本棚をあさってたら、中学生時代に読んだ数少ない本が見つかって懐かしんで読んでたら、気づけば夜中の2時くらいになってしまいました。
小学校時代から自分は全く本を読まない人間で(だから、国語出来ないんだと言われますが)参考書を除けば年に1~2冊ほどしか読んでないです。例えば、高校で推薦図書(課題図書)なるものがありましたが、あれも実際に読んだのは一冊もありませんし、そもそも活字を読むのがメンドクサイっていうかダルイっていうか、、、、
とにかく読む気にならない性格「だった」んです。

そのためボキャ貧といいますか、この年になっても稚拙な言葉しか使えないはめになってしまってるわけです。
ただ、最近は稀に本をその気になって読んでみると思いの外熱中してしまって、(読むのが遅いために)半日とか一日中読むということに繋がるんです。
浪人生としてどうかと思いますが、読むことに熱中してるときは今まで本を読むことに嫌悪感しかなかった自分が読んでることに喜びを覚えてあえて止めることはしないようにしてます。

活字になれてきた理由として大きいのは、センター試験ですかね。
昔から国語はだいっきらいで、試験のときは基本寝ることしか考えてなかったのですが、高校になってからセンター国語を解くようになって、マークだから、5分くらいで塗り終わって75分寝てるのもだるく感じたので何か暇潰しを探したら、
「問題文しかないか
ということになって、ためしに読んでみたら案の定つまらなくて、でも、寝るか読むかしかないから読んでたんです。
そしたら、いわゆる虐待による多重人格形成の原理と同じようなもんで、苦から逃れるために問題文を読むことを勝手に楽として認識し始めたんです。
そして、気づいたら問題文を読むことが楽しくなって、わりと国語アレルギーが解消したんです。
でも、全く成績は上がりませんけどね。

はい、今日はこの辺で。ばいちゃ。

電車に揺られて考えた事

とりあえず何かしら書こうとしたら、「暑い」とつい打ってしまうほど、最近は書くことが思い付きません。

そうですね、最近は勉強する意味を掘り下げてたらやる気がな無くなってきて、悩んでおります。

でも、「悩む」って楽ですよね。
悩むだけなら行動しなくて良いというか、逆に、特に悩まずに行動することはこの上なくしんどいと思いますし。

たぶん悩んでる事に満足するんでしょうね。普段ロクに物事を考えてないから。
そんな人ばっかですよね。「悩んでます~」って辛いアピールして、心配されたいんでしょう。
ほんとに悩むってのは、そんなに簡単に誰にでも相談できたり晒したり出来るようなことじゃないと思います。
(よっぽど信頼できる親友や身内などがいるならそこにだけ相談したりする。)

殊に自分はそこまでの事では悩んでないし、今は自分で困らせて自分で解決する様子を客観視する余裕もあるくらいなので、「楽に」悩んでます。

こうして自虐するってのもまた楽です。
周りからの期待や自分からの期待のハードルを下げてるんですよね。
その思いの裏には「周りの期待を裏切りたくない」「失敗したくない」という気持ちがあります。
外からは見えないけど自分からの失望というのが、俗にいう「ぼっち」には最も辛いもので、自分を肯定してくれる味方が居なくなるんですよね。
いくらポジティブに言葉や思考法で繕っても、根では自信がないから、簡単にその塗装は剥がれ落ちてしまう。
「(自らが)自らを信じる」と書いて「自信」です、だから、自虐するというのは自信(自分を信じる自分)を失うのはもう嫌だ、と心が逃げているんです。

それで、鈍感を羨ましく思う事もしばしば。きっとその人の生きてる世界と自分の生きてる世界は隣りに座っててもまるで違うのかもしれないですね

ここからの一段落(1かたまり)は超メンドクサイ話なので、飛ばしてください

鈍感な人は自分が鈍感なのに気づかなくて、敏感な人はよりいっそう自分を敏感だととらえる。
でも、「真に」鈍感な人は自分の事を敏感だと思って、「真に」敏感な人も自分を敏感だと思う。
つまり、自分を鈍感なんて思う人はいなくて、「自分を鈍感だ」といってる人は「真に」敏感なのですが、それだと自分が敏感だと気づいてなくて「真に」敏感とは言えません。よって自分を正しく鈍感だと認識してる人はいないということになります。もし、自分を鈍感だと思っている人がいるのなら、それは他人の意見によるのもでしかなく、客観視はできてないので、確かに鈍感かもしれませんし敏感かもしれませんし。

結局、鈍感と敏感は主観では区別がつかず、他人は違う景色を見てるかもしれませんが鈍感か敏感かは自分で気づくことがないので同じ景色を見てるとも言えます。
そうなのかなあ、、、、、

なーんて、ちっぽけな悩みが浮かんでは沈み、作っては解き、その繰り返しです。

今自分は結構オリジナリティのある事を考えられたと思っているんですけど、きっと皆同じ事を考えてるんでしょうね。

最後に、(ほとんどありませんが)人の悩み相談を受けるのって難しいですね。
「自分がされて嫌なことはするな」という無理な要求を念頭に置いて相手の気持ちを考える、そして、客観的な意見も交えて、でも、自分の意見も取り入れて答える。ただ、残念ながら、相手の真の要求を満たさなきゃどんな良い答えでも0点になっちゃう。(もしも相手が、そんなことも気にしない人で、自分なりの解答を待ってくれてるのならこの上なく気が楽ですが。)
でも、上手く相手の要求に合わせられたら最高な気がします。

今日は全部頭の中での話で終わってしまいました。
では、ここら辺で、ばいちゃ。

なーつが来るから、塾へ行こうよ ちょっとだっけ立ち止まってサボる日もあるけど

天王山、つまり、「受験生の夏」を感じる暑さになってきましたね。
(北の地方ではまだ暖房効かしてるとこもあるみたいですが。)

温暖化しないでくれ~とこっちでは思ってますが、実際、自分も含め東京の人間が一番暖めてますよね。クーラーつけて、外に熱風放出して、外出たら「あちー」なんてバカみたいに。そんな人に限って冬はすぐに暖房を焚いたりする。

こんな夏は風鈴欲しいですね。
あと、縁側でそうめん食べて、そのあとバケツの水につけて冷やしてたスイカを頬張りたい。
なんて理想です。

最近の消暑法は、足を霧吹きで軽く濡らし、そこに扇風機を当てて冷やす。
という方法です。これが案外良いんです。
扇風機は弱でも、ちゃんと足に当てれば、スーーっと熱が奪われていって気持ちがいいです。

自分は暑がりなので、冬は得意ですが、夏は、予備校の教室が暑くて仕方がありません。
暑いだけでイライラするのですが、それよりもイライラするのが、メチャ暑い部屋で、自分は半袖でもやってらんないのに長袖着てるヒトビト。辛いです。ただ、更にそれよりも許せないのが半袖着てるのに「寒いです」とか言い出す輩。これはタチが悪い。どちらかと言えば、クーラーをつけることに罪悪感がある俺の心理の隙をついてきてやがる。
「確かに、外はあんな暑いのに、中で寒いレベルの温度なのはおかしい。地球に悪すぎる。」
と、一瞬納得してしまうからだ、一瞬そんなことを思ったせいでその後の数時間で暑さに必ず後悔させられる。

「いいんだ、自分は所詮、根は悪で真に他人の幸福なんて願ってもない偽善者だ。」と自分を偽って(?)いかないと楽には生きられそうにないと、改めて人生は生きづらい事を思い知らされます。
いずれにせよ、予備校が生きづらい場所なんてのは百も承知で入ってるし、生きやすい場所なんて想像もつかないのでこれで結構です。

この暑さをポジティブに言うなら、
「暑くなきゃ夏じゃない!熱くなきゃ人生じゃない!」ー松岡修造
ですかね。

見事に韻も踏んでて、なんかもう、芸術的ですね。

今日はこの辺で。ばいちゃ。

おぬしは天才かの

よく「天才」という人の話をよく耳にします。

 
天才とまではいかないかもしれないですが、俺はあの人には敵わないと思う人は身近にだって沢山います。
 
既に死んだ人で今でも名前を知ってるのは、大抵がその時代で抜きん出た存在であった人に違いありません。
 
特に、定理などに名前が入っていたりといった人はほぼ間違いなく「天才」に分類される人物でしょう。
 
天才の定義は人それぞれですが、自分はここでは、才能を重視します。(巡り合わせの才能なども含む)
 
天才ときいて誰を思い浮かべますかね、、、、
 
 
いくらでも出てきそうですが、自分が特に好きなのは数学者エヴァリスト・ガロアです。

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顔はこんな感じ。当時15歳だそうです。
顔もなかなか好青年って印象です。
 
詳しいことはwikipediaに感動のストーリーと共に書いてありますので是非みてください。
 
彼は数学ガールの5冊目のタイトルにもなっている、「ガロア理論」という当時としては全く新しかった数学を作りあげた人物です。(細かいことはこれもネットで)
 
しかし、彼は20歳という若さで女をかけた決闘で亡くなってしまっています。
その直前に友人に遺書のような形で数学の論文を書きあげました。しかし、しばらくそれは解読されず、その十数年後にやっと彼の業績が認められたのです。
 
つまり、彼は(自分と比べるなんておこがましい話ですが)今の自分とほぼ同じ年齢には歴史に名を残すだけの偉業を成し遂げいていたのです。
それだけの能力がありながらも、家庭の問題、学校、社会との適正、人間関係に振り回されて短い生涯を閉じたのです。
むしろ、それだけの能力があったせいで、失ったのかも知れません。今では考えられない、決闘での死ですが。
 
そして、ゴッホのように、死んだあとに作品(論文)の価値が認められている人物でもあります。
 
彼のように運命に翻弄された偉人は数多くいますが、そのなかでも、特に悲劇的であったと考えられます。
(本当に悲劇的なのは、今でもその名を知ることができないような人物ですが。)
 
歴史に「もし」は禁物ですが、彼のような数学者がもっといい環境にいたらどれだけの功績を残したのかが惜しまれます。
 
この事も踏まえて、
最近のモチベーションは「勉強できることに幸せを感じ、感謝すること」です。こんなにアホでグータラな自分でも勉強するチャンスを貰えるなんて幸せですね。
勉強を強要させられているとこの事に気づくのは難しいですが、分かれば自発的にやれるようになれるかもしれません。
 
今日はこの辺で。ばいちゃ。