浪人して京大落ちた人の箸休め~'18

昔浪人して京都目指してました。

今日のやる気

今日はかなり長文なのでご注意を。
 

なんだか最近体調がよくないみたいで、授業中によく顔をしかめてしまいます。

(体調が悪いというのは、具体的には背中や足が痛い、頭痛がするってことです。)
 
狭いところに座り続けているため、いわゆるエコノミークラス症候群になってるんでしょうかね。。。。
 
今年度になってからは大分よくなっていたのですが、もとから姿勢が良い方ではないし、去年も一年間首の痛みに悩まされてたので、「またかぁ...」と、かなり心配になってしまってます。
 
休み時間には極力廊下に出て伸びなどをし、なんとか一時しのぎしてますので、それでなんとか乗り切るのみです。
 
梅雨になるとじめっとした空気と天候に心までやられて、やる気が低下するそうですが、どうなんでしょうか。自分はじめっとしたの大好きなので逆ですね。
っというか、6月になると中だるみするとか、辛いとか、ワザワザ言ってくるのは(出来れば前向きに過ごしたいであろう)浪人生諸君には逆効果な気もしますが。。。
気が緩む理由なんて、4月から入試までいつだっていくらでも見つけられるのだから、そんなのを口にするのは無意味な事な気がしてなりません。
 
自分はもともとネガティブで、いっつも後ろ向きに走っているので、変に繕って自分をポジティブにしてぼんやりとした満ち足りてない感覚を味わい続けることはないので、ポジティブ志向の人よりは、ネガティブになりやすい季節は得意分野ですよ。(おまけに誕生日もありますし)
 
とはいっても、自分でネガティブを宣言している以上、「理想の受験生」に近づいてきている自分を見て、日々ネガティブになっていくばかりです。そんなにネガティブに過ごしていると思わぬ事が嬉しく感じたり、低空飛行で安定している自分のコントロールが上手くなっているのを時々実感するという意外な特典まで付いてきました。 
 
最近はスマホ(自分はtabですが)の使用時間が減ってて、かつその時間を勉強に使えてて質、量共に上がってきております。
 
当然これもそんなに簡単にシフトしてきたわけではないです。
「やりたいこと」があるのにそれを我慢して勉強をするのって集中しにくいというか、そっちの方に意識が傾いてイライラしてしまいます。でも、これだって良くも悪くも物は言いよう考えようです。
自分は、塾から帰ってきて家ですぐに晩御飯を食べるのですが、その時にいつも「今日はどうやって勉強する気になろうかなあ~」と考えながら食べてます。
壁に夢や目標でも張って、毎日同じように同じ目的意識を持って、毎日モチベーションを上げれればいいのですが、紙に書けるような真の目的がない自分にとっては作る段階で無理な話です。
たとえあったとしても、毎日同じように考えて上手くやるなんてのは、自分の成績だって、回りの成績だって、親の態度だって、四季だって移り変わるので、不可能に決まってます。だから結局は、ある程度の思考法は確立した上で「その場しのぎ」で繋げていくしか方法は見つかりませんでした。聞こえの良い表現をするならば、「臨機応変」ですね。(先にも言った通り、自分はネガティブなので「その場しのぎ」と言っています。)
 
で、晩御飯を食べながらどう考えているという話をします。
どんなにサボりぐせがあっても「ホントは勉強しなきゃいけない。」それがわかってたら、シンプルな思考で到達できます。(思考の到達地点は「実際に勉強する」という行動を起こすことです。)
 
まず、「勉強をしなきゃいけないが、してない」という自分の行動に対する不満や苛立ちや恥ずかしさによって、勉強するエネルギーが蓄えられていると考えます。
「大切な時間を無駄にした」なら「じゃあ勉強すれば時間は無駄にならないんだ」と考えます。
「ケータイいじってたせいで宿題出来なかった」なら「ケータイいじらなきゃ勉強できる」と考えます。
ここで、ポイントなのは、論理の飛躍をしすぎない程度に、間の思考過程をはぶいてシンプルに考えるのです。
つまり、例えば「大切な時間を無駄にした」その理由を考えるのではなく、どうしてそれが問題なのかを考えるのです。そして、「勉強が出来ないから」という当たり前の答を出します。そうしたらそれの改善策はたった一つ。「勉強すること」です。
 
言ってることよくわからないですよね。わかったとしても、突っ込み所多しですよね。
 
そうです、だから、さっきも言ったように「良くも悪くも物は言いよう考えよう」なんです。
 
出来なかった理由を分析して、次に活かすのは大事です。
出来たときにその理由を考えるのも大事です。
これについては完全に否定はしません。
しかし、理由を探ったところで、その後起こることにそれが当てはまるとも限りません。(自分は、理由を探っても探っても新しい理由が生まれるばかりです)だからこそ、「後から」ではなく「先に」こっちから仕掛けるのです。
「後から」ならいくらでも言えます。出来なかった事実を直視することになります。そこで新しい理由を見つけてしまうんです。出来なかったこととその理由は無限にあるし、自分が完璧な人間でないならそれを見つけることもできないでしょうし。
一つ一つを見ていくと法則性もなければ一般化もできず、キリがありません。
でも、その「理由」たちはなんのために探すのでしょうか。
そう、それは「勉強する」ためです。
 
ここでは理由を探すことは目的ではないです。
勉強してしまいさえすれば理由なんてどうでもいいんです。
 
そして、勉強する為の力は既にもってるはずです。
「勉強しなきゃいけないのに、出来ない」という経験から生まれた実体験という自分にしか分からないバックグラウンドつきのエネルギーがあるはずです。
 
ここまで来たら、ようやく勉強以外の行動の意味をほぼゼロにして、前に進めます。
 
それなら勉強しなかった時間は無駄のようで無駄ではなかったと、全ての時間がここでやっと価値が生まれて、、、、なんて、そんなのはただの特典です。ご自由にどうぞ。
 
こんな感じで、日々ネガティブでも積極的な思考で「その場しのぎ」をしております。当然これだっていっつも上手くいくわけではないですけど、自分はこれが心の靄が晴れるような、しっくり来るやり方として気に入ってます。
どうしてもやる気が出ないときは、以前書いた「なんにも考えない」という方法を使ったりしてます。
 
読みにくい文章で、長々と書いてしまい申し訳ありませんでした。
 
理解して頂けたらありがたいです。
今日はここら辺で。ばいちゃ。