浪人して京大落ちた人の箸休め~'18

昔浪人して京都目指してました。

人間様さすがです

自分の嫌いなものウィークリーランキングトップが「ポケモンGO」になった予備校生Yです。

ポケモンなつかしいですね。

小学生の頃よくやってました、あの頃はルビーサファイアとかを特にやってましたね。
 
高校入ってからは周りでポケモンやってる人もちらほらいましたが、実際には全くやってません。

そんで、新聞の一面にもなったポケモンGOですが、あれは恐ろしいもんですね。
それと同時に、それを許容しているこの世界のありとあらゆる物にも。
理屈をこねればどっちの意見も溢れかえってきりがないのですが、個人的には大嫌いです。
たとえこんな物がこの世に生まれてもどこかで歯止めがかかるだろうという期待も多いに裏切られるというおもしろい「実験結果」ではありますがね。
べつにこれを産み出した人々にも使っている人々にも全く失望といったことがあるわけでもないです。(期待なんてするわけないし、出回ればこうなる事は容易に想像がつくので)

人への害の多きさから、やりたい人にはどうぞと気軽に言えないこのシステム。(人の事を思いやる振り)
今の露骨な情報操作には呆れてしまいますが、自分にだけは危害がありませんようにと願ってます。
(七夕がもうちょい遅かったらそれを願ってたのに。)

「引きこもりが外に出た」は結局何一つ良いことない。
スマホを持った害虫を外にだしてどうするつもりだろうか。日光に当てたら殺菌消毒でもできると思っているのであろうか。根本の解決に繋がらないのだから部屋に戻してあげてほしい。「部屋の中にいさせることに意味を感じない」と同じように「外に出すことに意味を感じない」と言えばわかっていただけるだろうか。
政府もわざわざ注意を呼び掛けるくらいなら禁止ぐらいしてもいいぐらいだが。当然この様子じゃムリですな。

なぜだかわからないがここまで嫌な気分なのも珍しい。
社会全体で人にこれほどの不快感を与える事ができることに逆に関心してしまうほど。
たいていのことは、根付いた悪習だからと割りきれるものなのに、今回ばかしは新たに生み出される瞬間を見ているだけにどうも上手くかわせないです。

結局自分が嘆いても変わらないし、人が死ななきゃわからないんだから(もう死んでるのにがわかってないが)、物をロクに考えない本能むき出し人間が主な、お遊びが終わるのをしばらくは待つしかなさそうですね。

これからどうなっていくか、楽しみです。

今日はこの辺で。ばいちゃ。

元気だせ

マジで人と話さないと自分の変化にも気が付きにくいのかもしれません。

人と話すときは、けっこう周りの目を気にしているために自己防衛ぎみの客観視が働くのですが、こうも本心からうまくやっていきたいような人と話さないときは乱暴な客観視で終わってしまいます。  

一人でなにもかもやってると、無意識のうちに主観的にしか見れなくなってる気がします。

話を変えます。

「目標を決める」系のサイト、本を試してみても全くといっていいほど参考にならないですね。

たぶん四年前の自分だったら目を輝かせて読んでいたであろうものもありますが、どうも今は麻痺しるみたいです。

たぶん誰でも考えたことがあると思いますが、目標(夢)を立てて、それを達成する理由、ないしはその必要性はそもそもあるのだろうか、(ここで、これを現実(目標達成の苦痛など)から逃げているだけだ、という意見は話にならないので無視する)目標を達成してドーパミンが分泌されて快感を覚える、その大きいものが夢であって、それだけの事をするためなのか?という問が常に頭を巡ります。

「昔から目標があって、それを達成して今は充実している。」とか「苦労して、何か物事を頑張ってやってみなさい。」とか「大きな夢を持って生きろ」などと言っている人はそれの無い人を理解する姿勢が一切ない、恐ろしい人間ですね。
20才代のニートたちに「僕も昔、君たちくらいの頃には、同じような事を考えた、でも、気づいたんだもっと大切なことに」と語る人は、気づいた(答えを出した)のではなく、その問を考える事をやめただけで、ここでニートが考えている問の一切の解決にもなってない。つまり、その議論の姿勢は理由を聞いて、「言い訳するな!」と怒鳴り散らかす体育教師のそれと変わらないレベル。それに加えて、もしそれが本当だったとして、なぜ答えを教えるのだろうかという疑問だって残る。少しでもマトモにぶつかりたいなら、ニートの「僕はそれが嫌」という態度に対して、「お前らのそれが嫌だ」といってやれば良いのにと思ったり。。。

先の目標(夢)への疑問を持つことさえもほとんど許されていない世界と違ってまあ日本は余裕かつ安全で、そのおかげでニートと言われる人々が山ほどいて、それがしっかりと社会的に認知されるほどの規模なのも関心しています。
(ただ、当然ニートにだってそれすら考えてない思考停止の人が多いのでしょうし、ニートじゃない人がそうなっているとも言えません。)

でも、間違いなくそのニート達を産み出しているのはしっかりと働いている人のお陰で、得意の「それを考えないようにしている」からこそ、働く事ができるのでしょう。

それほど大きな事を考えないで過ごせる人々....尊敬します。

今日はこの辺で。ばいちゃ。

理由

10日ぶりといったところでしょうか...夏休みに入ってから講習以外何も無さすぎて書くのを忘れてました。

相変わらず色々思いを巡らせてるのですが、良いテーマも思い付かず、大学の案内やHP、研究の様を見ててふと思ったのが「そんなにやりたいことないな」です。

「なぜ勉強するのか」
勉強を始めたとき、或いは勉強に苦しんだ時に思い付くこのテーマですが、自分としては「(受験のための勉強ではなく)知りたいという生まれ持った欲求により勉強すること自体に意味がある」というある程度の答えは出したつもりだったのですが、それはそれ以上の議論には耐えられない答えで、「一応の答え」だったのも承知であって本音ではそのうちわかるだろうといった先伸ばしのテーマではあったんです。
それが、こういった受験盲信を中断させる時期に再燃してきたんです。

「絶対合格!」と盲信しているときには気づかない本心の乱れ、目標のブレは今まさに大きな負担となっています。

これは一般には「中だるみ」とひとくくりに呼ばれている現象の一例ですね。

本能で知りたいという事実は変わらないのですが、その理由だけでは満足できない段階にいるならどうすればいいのか。

そもそも「こんな疑問を持つ知的欲求以外の理由」を持たないことに言及しないでいる限り答えは出ない気がしますが。笑

と、そんなことを言ってたらまた話が中途半端に終わってしまうので今はしないでおきます。
というわけで、この答えは受験盲信を使ってしばらく保留です。

話を10行ほど前に戻すと「やりたいことないな」についてです。

べつに全くやりたいことがないわけでもないんです。
ただ、大学のそれが、自分のなかに作り上げた理想の「やりたいこと」像に比べて見劣りするってだけなんです。

理想の「やりたいこと」っていうのは、それをせずにはいられないような、誰に言われるでもなく進んで取り組むような、熱中して、それをしていると時間がたつのを忘れてしまうほどの事だと思っていたわけです。
でも、最近は、当然そこには努力や苦労も付いてくる事を意識的に無視してて、全力を出さないで手に入れようなんて傲慢な自分がいて、そのせいか、全てを深みを知ることもなくやりたいことじゃないと決めつけている傾向にあるのかなって気がしてます。

本気になれない人間には天職を手にするチャンスは訪れない
ー吉岡秀人

まさにそうかもしれませんね。


元々自分の中でも「これを とりあえず やりたいという設定にして大学を目指そう」なんて気持ちがあって、土台ガタガタのまま始めた受験勉強なのは確かで、そのモヤモヤが勢力を増してきた結果こうなっているのです。

また、目標立て直しですかね。笑


気持ちだけでもダメ、だからと言って方法論に縛られるのも自分の成功には繋がらないと感じ始めてて、いく場所を無くしそうな日々ですが、なんとか生きてます。

最後に

(MAJORより自身のいた海堂高校ではこの土壇場を乗り切るスキルを身に付けてないからムリだと言うピッチャーの眉村に対して)
何下らない言い訳をしてるんだよ!
ここで逃げたら、それこそスキルなんて上がるわけないじゃないか
弱さを認めるのは構わないけど、それに立ち向かわないのは海堂のせいじゃなくて自分のせいだろ!
ー佐藤寿也

きょうはこの辺で。では、ばいちゃ。

週14のシャワー

朝の目覚めに役立つ習慣
自分ランキングではシャワーがダントツ一位です。
ホントの勝負は風呂場までの道のりですが・・・

朝シャワーを浴びると何かと良いことがありますね。

朝シャワーは三文の得と言いましょうか。

例えば、
夏なら水で一気に涼しくなるとかー
ねぐせだって一発で直っちゃったりとかー
体を洗う動きで運動不足解消とかー

他にもきっと良いことがあるはず....です。

以上です。
今日はこの辺で。ばいちゃ。

無駄だとわかってることがやりたくなる

無駄かどうかは、終わってからわかるものとして今日の話をしますとー

なんていう書き出しから始めるのは窮屈になりそうなので止めておきますが、「無駄だ」じゃなくて「無駄だった」という言葉だけがあると思ってみたりしている毎日です。

むかしから、反抗期なんです、自分は。

反抗期というかアマノジャクなだけかもしれませんが。

あえて無駄なことをしたくなる。結果として良い方向に向かうのが分かるとそうじゃない方にしたがったり。
たいていは逃げてるのと変わらないんですけど。

でも、最終的に判断するのは(社会的に許される範囲で)実際にその時の感情というか、本心だと思っているもの委ねます。

もちろんそれは合理的だったり効率的という観点から見れば、最善でなくともです。

そういう事ってありませんかね。
まだそんなことのできる時期だからですか。
「無駄なこと」をできる自由が今はまだあるだけですかね。

とにかく、自分は「無駄じゃない」というのもよく分からないですね。
無駄かどうかはその対象があってそれに効率的だったり、最大限自分に得があるか、とかの判断項目に従って決めているんですかね。

例えば、合格に関して、この時期のスマホゲームは無駄かと言われれば
そんなことする時間があるなら勉強しろと言って無駄と答えるのもアリ
ゲームをしてストレス発散して、勉強に集中できるから無駄じゃないと答えるのもアリ
なわけで、いっそうややこしく、(最近は気に入られたいがためか分からないですが、後者を推す人が多いですかね。)
決まらないことがほとんどだと感じます。

でも、終われば、あれは無駄だったとかそういう議論をし始めますが、それは前にやるべきで、でも、前には決まらないわけで、今この瞬間に無駄なものかそうでないものは決まらない、つまり、それらは無いんじゃないか。という考えです。

当然、判断を迫られたら、無駄かどうかなんて言わなくても可能性で考えれば良いのですが、それだけで行動を決めるのは結果として極めてつまらない物にしかならないというか、思いどうりにいって満足する、自分なら「結構です」と遠慮する事が想像できてしまいます。

その瞬間の自分がどうかはしょせん自分が決めることで、どんな人でも(善人であればあるほ)自己満より外にはいけないわけで、結果はその時々によりますが、出来が良くても悪くてもそれで自己満の範囲ならいっしょじゃないんですかね。

そうやって理屈をつければ、無駄に思えて仕方がない方を選択したくてうずうずしてきます。

それと同時に自分で変えてやろうという意欲も無くなって、どうあがいても自己満でしか生きれない自分を否定せずにすむんじゃないんですかね。

ま、自分はあくまで気楽にやりますということでした。
今日はこの辺で。ばいちゃ。

受験の夏こそツール・ド・フランス(前回の続き)

言う相手はいないが最近の口癖は「うるせーバカヤロー」の予備校生Yです。

前回の続きという形で、勢いを失わないでやるにはというテーマで話します。

勉強をスムーズに開始できたという前提で、どれくらい勢いが続くのかを考えます。

時間レベルで見ると人の集中力は90分といわれていて、某K塾の授業も90分単位でおこなっているそうです。
これの繰り返しでセット感覚で行うのが良いかと思いますが、自分は60分単位です。
勉強科目によりますが、数学なら二時間くらいは平気で集中できて、英文読解などは60分でくたくたといったところなので、そこも順番にやるとかしてペースはつかむべきでしょうね。(雑でスミマセン)

そして、勢いを失わないスパンについて。
カギはなんといってもペース配分だと思います。そして、適度な休憩。
マラソンにたとえることもしばしばありますが、肉体的な体力ではなくて、受験の場合は心(精神)の体力が大事だと思います。
それもそうですよね、「脳が疲れた~」といった経験よりも「やる気が起きないな~」といった経験の方が遥かに多いですよね。なので、勢いを失わないスパンを考える際は当然ですが、精神的な体力を中心に考えていきます。

夏休みの精神的な体力を支えるもの・・・ノルマ達成の程度

前回も言いましたが夏の計画は達成できないものです。
それをわかっているのとわかっていないのでは精神的な体力のペース配分が大きく異なってきます。
ただ、夏休みの対策は具体的にこれだ!といった核心的な方法などないのでその時々にうまくやっていく武器をいくつか用意しておきます。

1、夏休みの大きな目標を立てる。
体力ゲージの大きさはきっとこれで決まってきます。努力をするにしても、目標の大きさによって結果は大きく変わって来ると思いますし、「散歩のついでに富士山は登れない」とも言うので。
そこから、目標を少し細かくして日々に落とし込んでいきます。
自分なら、「全教科毎日触れる。京大実践で6割とる。+○○問題集を完璧にする。」です。

2、計画は等分しない。
50日あるから、それを10日ずつ5つのグループに分けて、均等にノルマを入れていこうなんてのは現実的ではないんです。
ペース配分だって、序盤の様子見や最後はラストスパートといった事もあります、でも、夏終わってから燃え尽きては意味ないので出しきるにも内容を見て決める必要はあります。
自分なら、配分の仕方は徐々にノルマを増やしていく、内容としては復習中心、7月と8月の二つに分ける、模試(2回)を区切りにすることを意識して決めます。

3、「生活習慣」にこだわりをいっそう強くする。
普段は予備校、学校がある人は生活のペースが変わるのでこれは重要ですね。
特に朝。嫌でも起こされる日々から抜け出すと思わず怠けてしまいますよね。
これに関しては、強制力を使うしかないですね。
もしも親に起こしてもらえるのならそうしても良いかもしれませんし、そうでないなら予定を組み込むとか。(講習を入れたり、朝学校に集まって勉強会したり。)
俺は前者は目覚めが悪くて嫌ですし、後者をするような友達はー、、、いないですかねえ。(いたらご一報を)
でも、自習室大嫌い人間なので、自習室に行くために早起きはしないです。

というわけで、夏の計画を立てました。

夏といってもやることは普段の勉強+αというイメージですね。

今日はこの辺で。ばいちゃ。