浪人して京大落ちた人の箸休め~'18

昔浪人して京都目指してました。

元気だせ

マジで人と話さないと自分の変化にも気が付きにくいのかもしれません。

人と話すときは、けっこう周りの目を気にしているために自己防衛ぎみの客観視が働くのですが、こうも本心からうまくやっていきたいような人と話さないときは乱暴な客観視で終わってしまいます。  

一人でなにもかもやってると、無意識のうちに主観的にしか見れなくなってる気がします。

話を変えます。

「目標を決める」系のサイト、本を試してみても全くといっていいほど参考にならないですね。

たぶん四年前の自分だったら目を輝かせて読んでいたであろうものもありますが、どうも今は麻痺しるみたいです。

たぶん誰でも考えたことがあると思いますが、目標(夢)を立てて、それを達成する理由、ないしはその必要性はそもそもあるのだろうか、(ここで、これを現実(目標達成の苦痛など)から逃げているだけだ、という意見は話にならないので無視する)目標を達成してドーパミンが分泌されて快感を覚える、その大きいものが夢であって、それだけの事をするためなのか?という問が常に頭を巡ります。

「昔から目標があって、それを達成して今は充実している。」とか「苦労して、何か物事を頑張ってやってみなさい。」とか「大きな夢を持って生きろ」などと言っている人はそれの無い人を理解する姿勢が一切ない、恐ろしい人間ですね。
20才代のニートたちに「僕も昔、君たちくらいの頃には、同じような事を考えた、でも、気づいたんだもっと大切なことに」と語る人は、気づいた(答えを出した)のではなく、その問を考える事をやめただけで、ここでニートが考えている問の一切の解決にもなってない。つまり、その議論の姿勢は理由を聞いて、「言い訳するな!」と怒鳴り散らかす体育教師のそれと変わらないレベル。それに加えて、もしそれが本当だったとして、なぜ答えを教えるのだろうかという疑問だって残る。少しでもマトモにぶつかりたいなら、ニートの「僕はそれが嫌」という態度に対して、「お前らのそれが嫌だ」といってやれば良いのにと思ったり。。。

先の目標(夢)への疑問を持つことさえもほとんど許されていない世界と違ってまあ日本は余裕かつ安全で、そのおかげでニートと言われる人々が山ほどいて、それがしっかりと社会的に認知されるほどの規模なのも関心しています。
(ただ、当然ニートにだってそれすら考えてない思考停止の人が多いのでしょうし、ニートじゃない人がそうなっているとも言えません。)

でも、間違いなくそのニート達を産み出しているのはしっかりと働いている人のお陰で、得意の「それを考えないようにしている」からこそ、働く事ができるのでしょう。

それほど大きな事を考えないで過ごせる人々....尊敬します。

今日はこの辺で。ばいちゃ。