浪人して京大落ちた人の箸休め~'17

浪人して京都目指してました。

ひとまず浪人総括

まだ前期試験が終わっただけですが。。。

でも、望みどうりの結果なら受験は終わり。

合否は微妙なラインだと思います。不安だから自己採点はしてないです。(しようとしても記述ばかりでわからない。あと、私立は学校によって手応えがかなり違う)

 

あと二週間くらいドキドキしながら、後期の過去問解きながら過ごしますが。

総括はもうちょい後にしようかと悩んだが、つい手が動いてしまってて、なので自分のせいじゃないです。

 

振り返ってみると浪人初期は真面目に受験の技術について書いてて、それらは決して無駄ではなかったんだけど、自分にとって実際に役に立ったかどうかというと怪しいものばかり。でも、試してみてダメだと気づいた事も多いから必要な時間だった。(ただ、決して他の人にとっても同様だとは思わない。それぞれが適した方法でやるべき。)

 

そして、後半はストレスがたまったのか、それとも現役時代とあまりに違った生活に悪い意味で慣れたせいか、ひんまがった考えをつらつらと書き連ねてました。

ただ、その記事を書いてる時の心情を思い返すと、8割方不安だったように思う。(記事の内容から見てもそう受け取れるものがちらほら。)つまり、生活面では浪人生らしさを少しでも減らそうとしてても、メンタル面はまるっきり浪人生仕様だったということ。成績の伸びに関しては現役生みたいに終盤追い上げ方だったけど。

 

そして今の気持ちは2つ。

1つはなぜ最後(センター試験直前)まで成績が伸び始めなかったのか。なぜ今ごろになってようやく成績が上がり始めたのか。つまり、伸びきらなかった。そこが心残り。そしてそれに憤り。努力が足りなかった自分のせいに他ならないのだけれど。。。

でも、これについてはそれなりの理由が考えられました。

それは、「経験値タイプの学力の向上」とそれとは異なったタイプの点数の伸びがあるという事です。(後者は明確にはその仕組みは分からない)

経験値タイプの学力の向上」とは。

身近なモデルで例えるならば、ポケモンドラクエのレベルアップの様子がほぼ一致しています。

これはよく聞く話だと思いますが、どこかで急に伸びる時期がある。ってヤツです。

知識などを蓄え始めた頃はまだそれが頭のなかで完璧な理解や整理や統合、結び付きが弱く、問題を解く際に必要なアウトプットする時間が脳から引き出してきた記憶を保持する限界の時間をオーバーしてしまうため、なかなか正解を導き出すことが出来ないでいるのだと思います。(この、記憶を保持する限界の時間というのは、例えば、なんでも良いのですが、3桁の数字をランダムに次々に思い浮かべてみるとします、すると何個か思い浮かべた時には一個目に何を思い浮かべたのか分からなくなると思います。その一個目を忘れるまでにかかる時間の事だと思ってください)

そして、同じ知識に何度も触れ、使うことで、記憶を保持する限界の時間までに出せる数が増え、出した記憶が消える前に、より多くの記憶が、組み合わせるためのまな板に乗るという仕組みです。すると、その数が増えるほどに難しい(複合的な)問題を解く事ができるようになるわけです。この、解けるとけないを大きく分ける境界が、必要な知識を出す時間と保持する限界の時間の大小関係の変わるところだと考えてるため、経験値が一定のラインを越えた瞬間にレベルアップしてステータスが上がるように点数の向上が見られる。

というのが自分の考える理由です。

ただ、これは問題を解くための数多くある方法の一つにすぎず、いちいちこんな解き方をせずに、更に繰り返し鍛練を積むことで、引き出す「知識」そのものがすでに特定の問題を解くための「小さい知識」が組合わさった物になったり、記憶を保持する限界の時間が伸びたりと、違う成長があって点数が伸びると思ってます。

(でも、どれを実現するにも経験値(勉強「量」)が必要になるので、結局は正しいやり方で勉強すればいつかは上がるという事になります) 

 

2つめは、とにかく友達としゃべりたい。

まともに友達としゃべったのが夏休みが最後だし、食事等の集まりとかそれ系には全く行ってないから早く行きたい。

久しぶりが過ぎて話し方とかノリ方忘れてなきゃ良いけど。

 

今はそれだけ。あとは結果が出たらまた考えることにします。

 

浪人してまで受験をしていると

受験をこれからも含めた人生にとっちゃ、ちっぽけなものだと捉えるべき瞬間と

大袈裟すぎるくらいに、ここが人生の大事な分かれ道であり、あたかも受験勉強で人間性や勉強だけでないその他の能力まで試されているのだと捉えるべき瞬間

の両方がある気がしました。

 

2つとも、例えば前者は試験の緊張をほぐすためにそう捉えたり、後者は逆に緊張感がなくなったり、逃げたくなったりしたときにそう捉えたり。といったように使い分けます。

受験中だと合格のための手段としてこのように捉えるのみで終わる事がほとんどですが、実際どっちかと聞かれればきっと前者であり後者なのでしょう。

 

書いてたら他にも色んな感情が出てきましたが、そんなことより、今の一番の関心事はもちろん合否でっせ。

 

まるで受かったかのような物言いは不安の裏返しですし、後期の過去問もバンバン解いていきます。

過去の記事含めて、今まで書いてきたえらそーなことは自分が受かっても受かんなくてもその意味は変わらないけど、価値は絶対変わりますよね。もし受かってもそれは自分だから受かったってだけかもしんないのに。逆に落ちても自分だったからかもしんないのに。

そんな考えを文字にしてみたら、やっぱり自分は、ウマくいくことは全部偶然で失敗にばかり必然性を感じがちな性格なのだと痛感します。

 

だいぶ長くなったので発表日まではもう書きませんね。

 

最後にこの一年紹介した中で一番お気に入りの名言。

 

生きるために学ぶのではなく、学ぶために生きよ

ソクラテス

 

受かれ~ 

 

今日はこのへんで。ばいちゃ。