浪人して京大落ちた人の箸休め~'18

昔浪人して京都目指してました。

慣れてない

んー...解けそうで解けない、解けたと思っても間違えてる。

 そんなことを繰り返していつのまにか解けるようになるとなぜか解けなかった頃の苦悶が恋しくなってしまいます。

なぜでしょうかね。

どんなに小さくても、目標は達成してしまうと「新たな目標を作れ」と駆り立てられるような気分になります。

何事にも目標があるから行動が出来る。おおげさに言えば「風呂に入る」という目標がありそれを達成したらまた次の目標があり、次々にこなしていく。といったカンジに。でも、たいていは目標は一度に沢山作りますし、達成したことに喜びがあるのなんてごく僅かです。だから、目標の枯渇が起こるなんて事は稀ですので達成後の虚しさを味わうことなんてほぼ無い。

でも、例えば受験勉強において科目ごとの合格点を取ろうと目標をたて、それに向かって突っ走っていると(特に苦労するほどに)他の目標は邪魔になってどこかに忘れ去られてしまいます。だから今突っ走っている目標には達成感と一緒に虚しさがある。でも、本当は合格が目標で、さらにその先の研究や仕事などが真の「目的」なのだとわかっていれば(そうであれば)虚しさの入る隙間もなく次の行動に移せるはずなんですが。。。

はたして、自分はどうでしょうか。問題を解くことに関してはどこか虚しさがあるけれども、合格というと不安がどうしても消えない。でも、いくら解ける問題を解いても不安は消えないので、そこに伸び代を感じたいと願うばかりです。

 

 

話は変わりますが、先日、夕飯をとりながら見てたQさまの語句の意味問題が3割程度しか分からなく、自分の語彙力の低さにため息が込み上げてきました。(「空谷の跫音」なんて聞いたこともありませんでしたし...)

大学入ったら計画的に語彙力増やすよう努めます。

あ、伸び代ですねこれ。(コスパ悪いですけど)

 

 

他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
ージョン・ラボック

 

 

今日はこの辺で。ばいちゃ。