A判は2割落ちる。
人の不安を煽るタイトルですいませんね。
つまり、E判定でも2割受かるってことですから。
まあいずれにせよ、いい結果を見込むほうに捉えられればそれでいいんですよ。
今年は「他人」と最も多く共に過ごした一年だったのかもしれません。(少し早いですが。)
はっきり言って「他人」ってのは怖いです、知り合う予定ならいいのですが、少なくとも満員電車ではそうなることはありませんし、予備校のクラスでは友達作るどころか話しもしなかったので、全員が「他人」でした。
こういう言い方をすると明らかに自分は「弱いやつだ」とか「せこい考えだ」とか「受験ノイローゼかよ」とか思われそうですけど、同じ教室の人には一人残らず落ちてほしいですね笑(⬅これ(笑)は逆効果かもしれない。)
理由はというと「他人」だから、、、、かな。
そもそも定員割れしてない大学の受験なんて始めた時点で受かるコトはつまり自分のために誰かを落とすコトだから、これを思ってない人がいたらそりゃTHE偽善ですわな。
とはいえ、落とすなんて物騒な、って思うかもしれない。
大丈夫。少なくとも「他人」を落とすための努力は、「自分が受かること」しかしませんのではるか多くの人よりは親切なヤツだと思ってます。
これが、「他人」という受験生たちと一年過ごした浪人生の意見ですわ。
だからといって、他人の不幸を心の底から願ってるわけじゃない。むしろ逆。
合否がそのまま幸・不幸を決めることじゃないからこんな言い方してるだけで、「他人」が何を幸・不幸と捉えるかなんてそもそも知りませんからって話。
最近、人をおかしくすると思っている受験ってシステムの合否のせいで不幸になるなんて事が不幸だって思うならそうすればいい。それも「他人」だから、、、かな。
結局何が言いたいかって。
少なくとも自分は受かりたいですよ。でも落ちたら落ちたで何かを恨むわけでもないし味があっていいかな。でも、目的を持ってなきゃ誰もやってらんないでしょってコト。
ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない
ーユング
あと、センターくらいまで、しばらくブログは更新しませんので。
今日はこの辺で。ばいちゃ。