「おっ、これは」に希望を。
授業ある日に7時間の勉強するなんてクレイジーですわ。
とかぼやきながら(心の中で)、ここ何日かは電車に乗ってます。
模試ですか、数学4割くらい計算ミスりましたわ。
でも、さすがにミスで片付けては改善の兆しが見えないので反省はしてます。
理科の過去問とかやってると「おっこれはイケそう(=あわよくば9割くらいいけるかもしれない)」と勘違いしがちですが、それを勘違いだと捉えてるうちはまだ健全な状態で、本当にそれを思ったら(少なくとも自分は)落ちます。
大学入ってから「したい学問」はあるけど、その勉強を今はなんだか楽しめない。
なぜだろう、高校の範囲だと表面を撫でてるだけだから?
そりゃ大学では深くやるわけで、そこが楽しいのであって、楽しみは後にとっておかないと。って気持ちで繋ぐしかありませんね。
「でもさ、その深さって一生かかっても全てを知ることができそうにも無さそうなのに出し惜しみすんのかいっ」って突っ込みはここでは無し。
そりゃあ小学校の計算ドリルに楽しみを覚えたことなんてないのと同じで、その深さに比べたら、今の勉強は「したい学問」のチケット売り場に並んでいるだけで、始まってもいないと見なされているだろうからつまらないのさ。としておく。
小学校の計算ドリル懐かしい。頑張って夏休みの最終日にやった思い出。
小学校の理科はカンニングが基本(友達と相談しながら)で、漢字テストは再テストになってからやっと勉強したり、小学校の勉強はホントにつまらなかったなあ。
それがようやく学ぶこと自体が目的になって、出来るようになる日が来るんだから、なんて贅沢なんだろうか。
うーん、来るという表現は適切ではないかな、そこまで自分で行かなきゃいけないから。
生きるために学ぶのではなく、学ぶために生きよ。
今日はこの辺で。ばいちゃ。