浪人して京大落ちた人の箸休め~'17

浪人して京都目指してました。

無駄だとわかってることがやりたくなる

無駄かどうかは、終わってからわかるものとして今日の話をしますとー

なんていう書き出しから始めるのは窮屈になりそうなので止めておきますが、「無駄だ」じゃなくて「無駄だった」という言葉だけがあると思ってみたりしている毎日です。

むかしから、反抗期なんです、自分は。

反抗期というかアマノジャクなだけかもしれませんが。

あえて無駄なことをしたくなる。結果として良い方向に向かうのが分かるとそうじゃない方にしたがったり。
たいていは逃げてるのと変わらないんですけど。

でも、最終的に判断するのは(社会的に許される範囲で)実際にその時の感情というか、本心だと思っているもの委ねます。

もちろんそれは合理的だったり効率的という観点から見れば、最善でなくともです。

そういう事ってありませんかね。
まだそんなことのできる時期だからですか。
「無駄なこと」をできる自由が今はまだあるだけですかね。

とにかく、自分は「無駄じゃない」というのもよく分からないですね。
無駄かどうかはその対象があってそれに効率的だったり、最大限自分に得があるか、とかの判断項目に従って決めているんですかね。

例えば、合格に関して、この時期のスマホゲームは無駄かと言われれば
そんなことする時間があるなら勉強しろと言って無駄と答えるのもアリ
ゲームをしてストレス発散して、勉強に集中できるから無駄じゃないと答えるのもアリ
なわけで、いっそうややこしく、(最近は気に入られたいがためか分からないですが、後者を推す人が多いですかね。)
決まらないことがほとんどだと感じます。

でも、終われば、あれは無駄だったとかそういう議論をし始めますが、それは前にやるべきで、でも、前には決まらないわけで、今この瞬間に無駄なものかそうでないものは決まらない、つまり、それらは無いんじゃないか。という考えです。

当然、判断を迫られたら、無駄かどうかなんて言わなくても可能性で考えれば良いのですが、それだけで行動を決めるのは結果として極めてつまらない物にしかならないというか、思いどうりにいって満足する、自分なら「結構です」と遠慮する事が想像できてしまいます。

その瞬間の自分がどうかはしょせん自分が決めることで、どんな人でも(善人であればあるほ)自己満より外にはいけないわけで、結果はその時々によりますが、出来が良くても悪くてもそれで自己満の範囲ならいっしょじゃないんですかね。

そうやって理屈をつければ、無駄に思えて仕方がない方を選択したくてうずうずしてきます。

それと同時に自分で変えてやろうという意欲も無くなって、どうあがいても自己満でしか生きれない自分を否定せずにすむんじゃないんですかね。

ま、自分はあくまで気楽にやりますということでした。
今日はこの辺で。ばいちゃ。