おぬしは天才かの
よく「天才」という人の話をよく耳にします。
天才とまではいかないかもしれないですが、俺はあの人には敵わないと思う人は身近にだって沢山います。
既に死んだ人で今でも名前を知ってるのは、大抵がその時代で抜きん出た存在であった人に違いありません。
特に、定理などに名前が入っていたりといった人はほぼ間違いなく「天才」に分類される人物でしょう。
天才の定義は人それぞれですが、自分はここでは、才能を重視します。(巡り合わせの才能なども含む)
天才ときいて誰を思い浮かべますかね、、、、
顔はこんな感じ。当時15歳だそうです。
顔もなかなか好青年って印象です。
詳しいことはwikipediaに感動のストーリーと共に書いてありますので是非みてください。
しかし、彼は20歳という若さで女をかけた決闘で亡くなってしまっています。
その直前に友人に遺書のような形で数学の論文を書きあげました。しかし、しばらくそれは解読されず、その十数年後にやっと彼の業績が認められたのです。
つまり、彼は(自分と比べるなんておこがましい話ですが)今の自分とほぼ同じ年齢には歴史に名を残すだけの偉業を成し遂げいていたのです。
それだけの能力がありながらも、家庭の問題、学校、社会との適正、人間関係に振り回されて短い生涯を閉じたのです。
むしろ、それだけの能力があったせいで、失ったのかも知れません。今では考えられない、決闘での死ですが。
そして、ゴッホのように、死んだあとに作品(論文)の価値が認められている人物でもあります。
彼のように運命に翻弄された偉人は数多くいますが、そのなかでも、特に悲劇的であったと考えられます。
(本当に悲劇的なのは、今でもその名を知ることができないような人物ですが。)
歴史に「もし」は禁物ですが、彼のような数学者がもっといい環境にいたらどれだけの功績を残したのかが惜しまれます。
この事も踏まえて、
最近のモチベーションは「勉強できることに幸せを感じ、感謝すること」です。こんなにアホでグータラな自分でも勉強するチャンスを貰えるなんて幸せですね。
勉強を強要させられているとこの事に気づくのは難しいですが、分かれば自発的にやれるようになれるかもしれません。
今日はこの辺で。ばいちゃ。