THE受験生
受験生とはいかなるものか
どうあるべきか
今日はそれについて、自分のありったけの偏見を交えてライトに記します。
そもそもここで言う受験生とは、大学受験をする生徒を指し、浪人現役の区別はしますがどちらも含むものとします。
まず、自分の思う受験生のイメージといえば「盲信してる」です。
これは、大学を偏差値で分けたときに、その高い大学の志望ほどに多く、それが(ほとんどの受験生にとって)「受験」の勝率をあげる事に繋がっているからだと思います。
ここでの「盲信する」とは、受験の「合格」という二文字のみを見ているということです。
合格を無上の価値ににして、他のものは(無意識か意識かわかりませんが)それ以下とし、否定しようとする。
こう書くと(イメージ上の)受験生を否定しているようですが、決してそういう事ではなく、受験生である状況下ではこれは善です。(他の世界でもおそらく善だととらえたがる人が多い)
自分の中では、ある意味これを完璧にこなせばこなすほど受験に強い、あるいは向いている受験生であるととらえています。
これが現実とどれほど合っているかズレているかは全く検討もつきませんが、ここを目指す事は、これもまた盲信しているのであって、受験に強くあろうとしているわけです。
何を言っているのか自分でも理解できない部分ばかりですが、つまりは自分自身の目指している地点はこの受験生なわけです。
ただ、何か一つの価値を信じすぎることで、他の事を排斥しているような気がして、理想の自分の考えはこの上なく屈辱的でもあります。(要するに、周りの受験生の大半の様子には吐き気がするわけです。)
自分が合格を目指す受験生であることは、このジレンマに似た関係の二つによって、まるで幅のない線分の上に立つような、実際には不可能だけれども、可能に限りなく近づくだけの事であります。
でも、そうでなければ生きていくことすらもままならないので、(心のどこかで知ってはいながらも)、日々盲信せざるを得ないのです。
今回は史上最大に分けのわからん内容になってしまったので、次回以降はもうちょいまともなのに戻します。
では、今日はここら辺で、ばいちゃ。