センター後
センター終わったのでとりあえず書きます。
Twitterたるものは点高い人しか点を呟かないがために見るもの見るもの心底腹が立ってきますね。
じゃあ俺はどうなんだという話ですが、もしかしたら点は見たくない人がいるかもしれないので感想などを先に書いてから最後にちょこっと書きます。
センター当日、今年は二日とも寒かったですね
自分は相変わらずシャツにパーカーでいきましたが、ちょっと気温に対して薄すぎたかもしれないてくらいで、少し浮いてました
一ヶ月たっても特に書くこともないのが残念ですが、勉強してたってことにすれば、まあ。。。
地理は実践模試とか合わせて25回分くらい解きましたし、英語だって毎日一回分はやった。
数学と国語はたまーにだったけど、ブッカは隔日で交互にやった。
自分にしては頑張った方だけど、受験生にしてみりゃヌルイのかもしれないですね。
そう思うとまだまだできたんじゃないかって反省。
そしたら、とにかく二次だ!と意気込んでこれからの40日に捧げる。
部屋もセンター仕様から二次(京大)仕様に変えなくちゃ。
これで京大に受かって、バカ真面目にやらなくても受かるぞ!って証明できりゃ立派なもん。
国語で9割とれる立派な方や、計算ミスしない性格の方、自分はそんな人じゃないけどなんとかなるでしょ。
国語センターより二次のほうが高い人って稀有稀有中の稀有だと思うからそれもしてみたい。
現役のときは腹が立つだけのセンター試験も、今は自分に少しと他人にしか腹が立つことはないから少し成長。
色々書きましたがとにかく二次です。京理は二次です。
センターで低い方でも、きっと差は僅かですし、これから変えられるのは二次の点だけなので意気込んでいきましょう。勝負はこれからですのでね。国立前期まで残り約1000時間。
では、最後に結果をちょこっと。
英語180
数1a97
数2b90
国語107
地理82
化学93
物理100
749/900去年より高いし京大受験者のなかでは下の方でも個人的には大大大満足です。
はい、以上です。
今日はこのこの辺で、ばいちゃ。
A判は2割落ちる。
人の不安を煽るタイトルですいませんね。
つまり、E判定でも2割受かるってことですから。
まあいずれにせよ、いい結果を見込むほうに捉えられればそれでいいんですよ。
今年は「他人」と最も多く共に過ごした一年だったのかもしれません。(少し早いですが。)
はっきり言って「他人」ってのは怖いです、知り合う予定ならいいのですが、少なくとも満員電車ではそうなることはありませんし、予備校のクラスでは友達作るどころか話しもしなかったので、全員が「他人」でした。
こういう言い方をすると明らかに自分は「弱いやつだ」とか「せこい考えだ」とか「受験ノイローゼかよ」とか思われそうですけど、同じ教室の人には一人残らず落ちてほしいですね笑(⬅これ(笑)は逆効果かもしれない。)
理由はというと「他人」だから、、、、かな。
そもそも定員割れしてない大学の受験なんて始めた時点で受かるコトはつまり自分のために誰かを落とすコトだから、これを思ってない人がいたらそりゃTHE偽善ですわな。
とはいえ、落とすなんて物騒な、って思うかもしれない。
大丈夫。少なくとも「他人」を落とすための努力は、「自分が受かること」しかしませんのではるか多くの人よりは親切なヤツだと思ってます。
これが、「他人」という受験生たちと一年過ごした浪人生の意見ですわ。
だからといって、他人の不幸を心の底から願ってるわけじゃない。むしろ逆。
合否がそのまま幸・不幸を決めることじゃないからこんな言い方してるだけで、「他人」が何を幸・不幸と捉えるかなんてそもそも知りませんからって話。
最近、人をおかしくすると思っている受験ってシステムの合否のせいで不幸になるなんて事が不幸だって思うならそうすればいい。それも「他人」だから、、、かな。
結局何が言いたいかって。
少なくとも自分は受かりたいですよ。でも落ちたら落ちたで何かを恨むわけでもないし味があっていいかな。でも、目的を持ってなきゃ誰もやってらんないでしょってコト。
ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない
ーユング
あと、センターくらいまで、しばらくブログは更新しませんので。
今日はこの辺で。ばいちゃ。
そろそろ逆算で立てる予定が必要かもしれない
帰りの電車から見える夕陽の美しさが帰宅時間にピークを迎える時期です。
イイ感じに雲っていると富士山のシルエットが見えてこれまた見惚れてしまう。
スマホ見てるのなんてもったいないって最近思うくらい。
一度でいいから北海道の電車にも乗ってみたいけど、これはこれで存分に楽しめるから今は満足。
えっとー、センターまであと53日くらい。時間にして約1260時間(二次までは95日約2260時間)
ここまで来ると、物理的にやること限られて、嫌でも内容が絞られてきますよね。
何点とるんだ~!って意気込んでた浪人生の方々は(自分も含めて)進捗どうでしょうね笑
上手くやってますか?生きてますか?
誰とも話さない、かつ、常時イヤホンの自分にも「こりゃダメだ」って雰囲気が伝わってくる人いますよ。
ってかそもそも来てない人も数パーセントいますし。(来てない人が諦めてる人とは言ってない)
ここまで見ると自分はどうやら諦めてると思うかもしれませんが。全くそんなことないです。
ただ、講習だとか併願だとか(第一に受かるなら)どうでもいい事ばかりに不安を煽られたり積み上がったタスクを意識して今からため息が出ることはあります。
自分の中で受験のために気持ちを誤魔化してる部分が出てきそうで怖いってのと、
今更改めて書くこともないんでここら辺にしときます。
究極の自信と、究極の不安を同居させよ。
ー杉村太郎
今日はこの辺で。ばいちゃ。
占いは信じろって方が難しい
ここ一週間、勉強した時間・内容のメモをしなくなって感じたこと。それは大して変わんないなってこと。
あえてどちらかと言うなら受験勉強への精神的負担は減った。はず。
結局、受験による精神的負担から解放されるには結果が必要なのか、と改めて実感。
メモると負担が増えるのは、勉強の記録を見て「あ~オレ今日勉強してるな~」と思うと満足して遊んじゃう人だから、かな。
勉強量気にしないでシンプルに目標(合格)までの距離を縮める事にこだわると追われるストレスが少なくなるからかな。
スモールステップで達成するのは大事だと思う。
このやり方は多くの場合正しいんだろうけど、実際やってみると自分はそれで上手く行きそうにないって、なんとなーくそんな感覚になる。
自分の性格とか悪習を変えられるのか変えられないのかと考えたときに、今までの自分を見て「残念ながら変えられない」となったなら、それが自分だと受け止めて変えないまま進むしかないこともある。
変えられないのに「変えようとしてる」フリになっちゃうのはマズイから。
目標を細分化して乗り越えるってのはいいと思うけど、その小さな目標達成に満足しちゃう自分には逆に分けない方がいいのかもしれない。一つ達成すると集中が切れるというか、その一旦の休憩がどうしても長くなってしまう自分は上手くいく日やいかない日に大きく振り回されちゃう気がするから。
バカ真面目な人。つまり、本人の言った通りに行動してる人を見るとイライラしてしまうのだけど、その理由は分かってるつもり。
このイライラする原因はバカ真面目な相手と比べたときの自分ってのがほとんど。決してそのイライラをぶつけたりはしないけど、そんな人が大勢いる自習室には到底いられない。
今になってもまだ一対一の勉強タイマン(集中して勉強する人と同じように同じだけの時間やってその成果で勝負すること)には全く自信が持てない。
だからこうして直接対決を避けるように、単純比較出来ない違ったやり方に拘りがちになってしまう。
(そんな自分にイライラしてるというのが上のイライラの原因の一つでもある。)
それでいいと少し思っている(諦めている)部分もあるのだが、本音は、タイマンでも勝てればそれに越したことはない。だけど、それが理想的すぎて上手くいく自分が中々想像できない。だから、「変えようとしてる」フリはせずに変えられるものを変えていく。それなら出来る。正しくは、それしか出来ない。
体調面
喉かぜが二週間くらい続いてて呼吸が苦しくなったりと、ベストコンディションではないけど、たぶん勉強には影響ほとんどなし。ただ、体調悪いからインフルの予防接種がしばらく受けれなさそう。
室内生活が続いて免疫力下がってるんだろうな~。筋力や話力だけじゃなく免疫力も、、、総合的な人間力が下がる浪人生です。これはどう考えても学力の向上じゃカバーできないレベルですわ。
今日はこの辺で。ばいちゃ。
計算ミス製造機
模試の自己採点というのは解く時より緊張する。これってどうなんでしょうか。模試なんて全く緊張しないって人も大勢いると思いますが、どちらかと言えばどっちなんでしょうね。
自分はいっつもミスるから緊張しっぱなしです。その度に対策をして、それが効くのかどうかを試す度に落胆するばかりで嫌になります。
センターで言えば
特に数学なんかは相当自信あっても満点は取れない。いっつも一つや二つのミスが見つかる。理科もなにかしらミスる。こないだだってヒドロキシ基をカルボキシ基と読み間違えて、試験終わってから気付きましたよ笑。こんなくだらないのばっかだな俺、と自己採点してて特大のため息を漏らしました。それだけじゃなくてもちらほら。
特に上の例のような「読み間違え・飛ばし・忘れ」が結構多い。
一読したときの記憶というは強いもので、(そのお陰で解くスピードを保てるのですが、)どうしても先入観を持ってしまい二読目以降に間違いに気付きにくい。
読み慣れた日本語を読むことは、単語などを意識的に判別してるのではなくて、ほぼ無意識にしてるので先入観を拭うのは難しい。
どうしよう、、、
「読む時、解く時の緩急」が大事だと聞いたことがあります。現代文でいうところの主張はゆっくり、具体例は速く読む。といったこと。
大事な所、例えば数学は、問題文は少ないのでゆっくりと意識して読むし、方程式を立てるとき、分かったと思ったとき、物理化学なら問題文で与えられてる文字を一つ一つマルで印をつけたり、それが大事だそうです。
あと、これは、どうしても模試でしか再現できない緊張感のせいなのですが「集中すると解けるようになる問題もあるが、間違えるようになってしまう問題もある。」といった現象が起こってます。いま。
遥か昔にミス対策について書いた覚えがありますが、(「いかにしてミスを減らすか」)今の自分にそのときの内容だけだとこの類いのミスには対応できない部分があると気づいてます。でも、どうしていいかはわからないです。
こんなにくだらないレベルのミスの話はさっぱり理解できない人には理解できないことなんだと思います。
正直言って自分にも理解できませんよ笑
でも、してしまう。
「計算ミスは性格だ」と誰かが言ってましたが、それも一理あるし、「計算ミスがあっても受かるぐらいの実力をつければいい」とも誰かが言ってましたが、それも一理あります。
解決策が見つからず悩みますが、一つや二つ変えたくらいじゃ直らない部分もありますよそりゃ。そんなに時間がないのはわかってますが、対策をした上でのミスとの我慢比べじゃないですかね。これはミスに限らず色々とそうですが。
Our greatest weekness lies in giving up.
The most certain way to succeed is always to try just one more time.
我々の最大の弱点は諦めることだ。成功する最も確実な方法とは、常にもう一度挑戦することだ。
ートーマスエジソン
今日はこの辺で。ばいちゃ。
カレンダーそのままだった
11月に入ったことで焦ってます。
卓上の白戸家のお父さんカレンダーを捲る度に焦りが増す、この感覚。そういえば壁に掛けてあるカレンダーも捲っとこと思い見てみるとまさかの4月のまま。うーん、、、、予備校始まって以来一度もめくってないとは思わなかった。一気に7枚めくったらあと2枚。ペラッペラになったのを見てさらに焦る。
何日か前に今の学力のままセンター試験当日を迎えるという地獄のような夢を見たせいもあって余計に。
今日までそれだけの準備をしてきてないということでもある。
本来だったらここで計画やらを練り直す所かもしれないですが、あえて今回はそのままにして、やった事の確認程度で済ませます。
しっかし寒い。急に冷え込むなあ。その上曇り続きで、体内時計が狂ってくる。で、明日は河合の京大模試。理数系7割取りたいと意気込んでおります。
ここ最近はうまく勉強できる日とできない日がはっきりしてる。
うまくいく日は出来ないことが想像もできないような感覚で次々に問題をこなしていく。
でも、逆にうまくいかない日は出来るというイメージが全くない。
もし自分がすんなりと(もしくは苦労してでも)結果的に計画をこなす人だったら、今の自分みたいに出来ない人間の事を本当の意味で理解することは出来ないんじゃないかと思います。
たとえ「その感覚わかるよ」と理解した風に言ってても経験したことない人には伝わらない。そして、出来なかった人がやっとの思いで出来る人間になっても、その内の多くの人が出来なかった頃の感覚を忘れて(忘れたいからかもしれないが)しまうかも。
このくらいは頭に入れて過ごせば少しくらい優しくなれるかなあ。
今日はこの辺で。ばいちゃ。
「おっ、これは」に希望を。
授業ある日に7時間の勉強するなんてクレイジーですわ。
とかぼやきながら(心の中で)、ここ何日かは電車に乗ってます。
模試ですか、数学4割くらい計算ミスりましたわ。
でも、さすがにミスで片付けては改善の兆しが見えないので反省はしてます。
理科の過去問とかやってると「おっこれはイケそう(=あわよくば9割くらいいけるかもしれない)」と勘違いしがちですが、それを勘違いだと捉えてるうちはまだ健全な状態で、本当にそれを思ったら(少なくとも自分は)落ちます。
大学入ってから「したい学問」はあるけど、その勉強を今はなんだか楽しめない。
なぜだろう、高校の範囲だと表面を撫でてるだけだから?
そりゃ大学では深くやるわけで、そこが楽しいのであって、楽しみは後にとっておかないと。って気持ちで繋ぐしかありませんね。
「でもさ、その深さって一生かかっても全てを知ることができそうにも無さそうなのに出し惜しみすんのかいっ」って突っ込みはここでは無し。
そりゃあ小学校の計算ドリルに楽しみを覚えたことなんてないのと同じで、その深さに比べたら、今の勉強は「したい学問」のチケット売り場に並んでいるだけで、始まってもいないと見なされているだろうからつまらないのさ。としておく。
小学校の計算ドリル懐かしい。頑張って夏休みの最終日にやった思い出。
小学校の理科はカンニングが基本(友達と相談しながら)で、漢字テストは再テストになってからやっと勉強したり、小学校の勉強はホントにつまらなかったなあ。
それがようやく学ぶこと自体が目的になって、出来るようになる日が来るんだから、なんて贅沢なんだろうか。
うーん、来るという表現は適切ではないかな、そこまで自分で行かなきゃいけないから。
生きるために学ぶのではなく、学ぶために生きよ。
今日はこの辺で。ばいちゃ。