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京都行きたかった、浪人生だった人の箸休め~'17

浪人して京都目指してました。

後期

本番の手応え通り後期は落ちてました。

受かっても補欠だろうと言ってるのとは裏腹に、もう既に私立行く準備バッチリです。

 

僅かに再受験するだのドゥだの考えてもみましたが、ーそれを決めるのも、後押しするための不満に溢れた現状もー、ずっと後にならないとさっぱりわからないもので、今できる事やるべき事に集中することにしました。

 

有名な話ですが、上原浩治選手の背番号は浪人した経験からその時の年齢19を野球ができなかった悔しさを忘れないために、使ってるそうです。

不満や悔しさはエネルギーになる、でも、それだけでは行く道を正すことは出来ない。それは、エネルギーがあればそれを要する辛い道に進もうとするけど、辛い道がしたい事に繋がるとは限らないから。

なーんて考えは昔から相変わらずでも、一度でいいからそういうシンプルなエネルギー体になってみたいとは思っています。

 

「自分は自分。」困ったときのお決まりの台詞。これは真だと思うけど、自分は自分である人は見たことがない。(恐らくこれを貫き通そうとすれば自然と社会から追放されるであろうから)

だから、遊びに行くときなんかは、どこか片隅にそっと置いていきたいけど、長旅をするなら、いざとなったときの為に一応リュックには詰めておく言葉。

 

半年ほど前から、とりとめもなく書くスタイルになりましたが、来年以降も続けていくんでしょうかね。それはその時にならなきゃわかりませんが。

 

とにかく大学生、どうしようか。

 

今日はこの辺で。ばいちゃ。 

 

ごまかし気味なポジティブ

こんばんは。

後期ですが...合格最低点的に余裕と思ってたら(決して油断してたとか、甘く見ていて手を抜いたのではなく)フツーに今季最大に失敗しました。(どちらかと言うと落ちてる)

 

まあそれなりに凹むわけですけれども、課題が見えて失敗するのとワケもわからず失敗するのだったらどっちが良いのでしょうかね。それが再挑戦するかどうかにかかわらず自分は課題が見える方が良いです。

(失敗したときの後悔は早い方がいい)

 

結局大学では物理を主にやるんですが、本来は地球科学をしたくて、受けたとこでガッツリ地球科学できるとこは全部落ちた(後期受かってたら出来るが...)のでこういうことになってます。

ただ、不思議とやる気は高いですし、受験勉強は好きじゃないのに勉強は好きになってて、「もう大学ここでもいい、自分は自分」って思うようになった事には少し驚いてます。(こんな考え方になっているのは、一年前の自分からすると不本意な結果になった以上、こう考えなければ生きていけないからかもしれませんが、それもまた事実で隠す必要も否定する必要もないでしょう)

 

同期で浪人した高校の友達の中には、第一志望に、(合格に決定的な実力を持ちながら)落ちてしまい新生活に悲観的な人もいます。でも、悲観的でも行動は起こしていくことは出来ますし、それでこそ見えることもあるし、悔しさに変われば(少しズレたことでも)やる気に繋がるでしょうから何も問題じゃないんですかって勝手に思ってます。どっちにしろ、この一年は一年で確かにあったってことの証拠としてある感情なので。

 

今は大学での物理や数学をその勉強の道しるべ(勉強法)とともに学んでます。加えて、英語も大事だと聞いたので、ファインマンの物理学講義(英題「Feynman Lectures on Physics」)の原文を、ネット上の無料でダウンロードできるようになってるサイト(公式)から拾って「背伸びして」読んでます。ただ、いくら使われてる英語が平易とはいえ、こんな長い英文、理解しにくい内容だと終わる気がしないですね。(全900ページくらいあるそう。。。)英語の勉強と割りきって読むしかなさそうです。

 

後期は受かってても補欠になりそうなので、発表日の21日には記事を書く事にはならなそうです。

 

今日はこの辺で。ばいちゃ。

 

結果発表(前期)

お疲れさまです。

結果から言うと、落ちました。

 

試験終わってからの二週間は今までで一番長く感じましたね。

(去年は理科が高く見積もって得点率2割ってのが終わった瞬間に分かったのでなんともありませんでしたが。)

 

時間の経過と共に、後期でもなんでもいいから地方に早く行きたい。って思いが強くなりー

終わってないのに色々と反省したり、期待したり、言い訳を考えていたり、不可抗力だけども浪人を振り返ってばかりでした。

 

これはまた落ちた時の保険だった(?)とか言われそうですが、(ネガティブを知った上での)ポジティブの思考回路が強くなり、きっとどこの大学でも上手くやっていく精神力がついたんでそれが何よりの収穫ですね。

 

 

そんなことより余計に後期に力を入れなきゃならないので、今日はこの辺で。結果で返せてませんが、応援してくれた方に感謝です。

ばいちゃ。

ひとまず浪人総括

まだ前期試験が終わっただけですが。。。

でも、望みどうりの結果なら受験は終わり。

合否は微妙なラインだと思います。不安だから自己採点はしてないです。(しようとしても記述ばかりでわからない。あと、私立は学校によって手応えがかなり違う)

 

あと二週間くらいドキドキしながら、後期の過去問解きながら過ごしますが。

総括はもうちょい後にしようかと悩んだが、つい手が動いてしまってて、なので自分のせいじゃないです。

 

振り返ってみると浪人初期は真面目に受験の技術について書いてて、それらは決して無駄ではなかったんだけど、自分にとって実際に役に立ったかどうかというと怪しいものばかり。でも、試してみてダメだと気づいた事も多いから必要な時間だった。(ただ、決して他の人にとっても同様だとは思わない。それぞれが適した方法でやるべき。)

 

そして、後半はストレスがたまったのか、それとも現役時代とあまりに違った生活に悪い意味で慣れたせいか、ひんまがった考えをつらつらと書き連ねてました。

ただ、その記事を書いてる時の心情を思い返すと、8割方不安だったように思う。(記事の内容から見てもそう受け取れるものがちらほら。)つまり、生活面では浪人生らしさを少しでも減らそうとしてても、メンタル面はまるっきり浪人生仕様だったということ。成績の伸びに関しては現役生みたいに終盤追い上げ方だったけど。

 

そして今の気持ちは2つ。

1つはなぜ最後(センター試験直前)まで成績が伸び始めなかったのか。なぜ今ごろになってようやく成績が上がり始めたのか。つまり、伸びきらなかった。そこが心残り。そしてそれに憤り。努力が足りなかった自分のせいに他ならないのだけれど。。。

でも、これについてはそれなりの理由が考えられました。

それは、「経験値タイプの学力の向上」とそれとは異なったタイプの点数の伸びがあるという事です。(後者は明確にはその仕組みは分からない)

経験値タイプの学力の向上」とは。

身近なモデルで例えるならば、ポケモンドラクエのレベルアップの様子がほぼ一致しています。

これはよく聞く話だと思いますが、どこかで急に伸びる時期がある。ってヤツです。

知識などを蓄え始めた頃はまだそれが頭のなかで完璧な理解や整理や統合、結び付きが弱く、問題を解く際に必要なアウトプットする時間が脳から引き出してきた記憶を保持する限界の時間をオーバーしてしまうため、なかなか正解を導き出すことが出来ないでいるのだと思います。(この、記憶を保持する限界の時間というのは、例えば、なんでも良いのですが、3桁の数字をランダムに次々に思い浮かべてみるとします、すると何個か思い浮かべた時には一個目に何を思い浮かべたのか分からなくなると思います。その一個目を忘れるまでにかかる時間の事だと思ってください)

そして、同じ知識に何度も触れ、使うことで、記憶を保持する限界の時間までに出せる数が増え、出した記憶が消える前に、より多くの記憶が、組み合わせるためのまな板に乗るという仕組みです。すると、その数が増えるほどに難しい(複合的な)問題を解く事ができるようになるわけです。この、解けるとけないを大きく分ける境界が、必要な知識を出す時間と保持する限界の時間の大小関係の変わるところだと考えてるため、経験値が一定のラインを越えた瞬間にレベルアップしてステータスが上がるように点数の向上が見られる。

というのが自分の考える理由です。

ただ、これは問題を解くための数多くある方法の一つにすぎず、いちいちこんな解き方をせずに、更に繰り返し鍛練を積むことで、引き出す「知識」そのものがすでに特定の問題を解くための「小さい知識」が組合わさった物になったり、記憶を保持する限界の時間が伸びたりと、違う成長があって点数が伸びると思ってます。

(でも、どれを実現するにも経験値(勉強「量」)が必要になるので、結局は正しいやり方で勉強すればいつかは上がるという事になります) 

 

2つめは、とにかく友達としゃべりたい。

まともに友達としゃべったのが夏休みが最後だし、食事等の集まりとかそれ系には全く行ってないから早く行きたい。

久しぶりが過ぎて話し方とかノリ方忘れてなきゃ良いけど。

 

今はそれだけ。あとは結果が出たらまた考えることにします。

 

浪人してまで受験をしていると

受験をこれからも含めた人生にとっちゃ、ちっぽけなものだと捉えるべき瞬間と

大袈裟すぎるくらいに、ここが人生の大事な分かれ道であり、あたかも受験勉強で人間性や勉強だけでないその他の能力まで試されているのだと捉えるべき瞬間

の両方がある気がしました。

 

2つとも、例えば前者は試験の緊張をほぐすためにそう捉えたり、後者は逆に緊張感がなくなったり、逃げたくなったりしたときにそう捉えたり。といったように使い分けます。

受験中だと合格のための手段としてこのように捉えるのみで終わる事がほとんどですが、実際どっちかと聞かれればきっと前者であり後者なのでしょう。

 

書いてたら他にも色んな感情が出てきましたが、そんなことより、今の一番の関心事はもちろん合否でっせ。

 

まるで受かったかのような物言いは不安の裏返しですし、後期の過去問もバンバン解いていきます。

過去の記事含めて、今まで書いてきたえらそーなことは自分が受かっても受かんなくてもその意味は変わらないけど、価値は絶対変わりますよね。もし受かってもそれは自分だから受かったってだけかもしんないのに。逆に落ちても自分だったからかもしんないのに。

そんな考えを文字にしてみたら、やっぱり自分は、ウマくいくことは全部偶然で失敗にばかり必然性を感じがちな性格なのだと痛感します。

 

だいぶ長くなったので発表日まではもう書きませんね。

 

最後にこの一年紹介した中で一番お気に入りの名言。

 

生きるために学ぶのではなく、学ぶために生きよ

ソクラテス

 

受かれ~ 

 

今日はこのへんで。ばいちゃ。

はたして

予備校の授業が全て終わって、お前とはおさらばだと思いながらも、まだ試験は終わってないと我に返り、気づいたら過去問に着手しています。

 

ナガティブな日は、解けるのも解けないのも不安。

でも、調子良い日は、解けても解けなくても受かる気しかしない。

 

要するにに捉え方次第なのは分かってるけども、捉え方をコントロールするのは難しい。

なので時々、感情を消して問題を淡々と解いてみたりするが、丸つけの時に溢れてしまう。

合格後を想像してその日々に手を伸ばすような気持ちでやるか、落ちたときを想像して尻を蹴られた気になってやってみるか。でも、実質やってることは同じ。

 

ふと自分は生まれてから今までに、死ぬ気で何かをやったことがあるかと考えたけど、ないっぽい。(いや、あれは死ぬ気ではなかったということにしておく。)

ちょっと休憩を入れたらそれは死ぬ気なのかどうか。受かることに死ぬ気になる。。。という表現がよく分からないが休憩の大半は「死ぬ気の休憩」ではないだろうから休憩なんぞはしないものとする。(初めから休憩を決めておくのはナシということ)

 

最近は明らかに出来る目標ばかりこなしていたから(←これは重要)、最後ぐらいこういうムチャぶりをしたくなってしまった。

 

 

 

「超アツイ=超クール」

アツイの意味を履き違えてる。単純に燃えることではない。何も恐れずにがむしゃらに行動することではない。今、何をするべきか。どのようにやるべきか。戦術や戦略を練ることにもアツク真剣になることだ。(中略)問いかけが甘くないか。途中で安心してしまってはいないか。やるべきこと、やり方の精度を上げよ。間違いないと信じきれるまで。超クールに疑うのだ。考えるのだ。

杉村太郎(アツイコトバより)

 

今日はこのへんで、ばいちゃ。

 

 

慣れてない

んー...解けそうで解けない、解けたと思っても間違えてる。

 そんなことを繰り返していつのまにか解けるようになるとなぜか解けなかった頃の苦悶が恋しくなってしまいます。

なぜでしょうかね。

どんなに小さくても、目標は達成してしまうと「新たな目標を作れ」と駆り立てられるような気分になります。

何事にも目標があるから行動が出来る。おおげさに言えば「風呂に入る」という目標がありそれを達成したらまた次の目標があり、次々にこなしていく。といったカンジに。でも、たいていは目標は一度に沢山作りますし、達成したことに喜びがあるのなんてごく僅かです。だから、目標の枯渇が起こるなんて事は稀ですので達成後の虚しさを味わうことなんてほぼ無い。

でも、例えば受験勉強において科目ごとの合格点を取ろうと目標をたて、それに向かって突っ走っていると(特に苦労するほどに)他の目標は邪魔になってどこかに忘れ去られてしまいます。だから今突っ走っている目標には達成感と一緒に虚しさがある。でも、本当は合格が目標で、さらにその先の研究や仕事などが真の「目的」なのだとわかっていれば(そうであれば)虚しさの入る隙間もなく次の行動に移せるはずなんですが。。。

はたして、自分はどうでしょうか。問題を解くことに関してはどこか虚しさがあるけれども、合格というと不安がどうしても消えない。でも、いくら解ける問題を解いても不安は消えないので、そこに伸び代を感じたいと願うばかりです。

 

 

話は変わりますが、先日、夕飯をとりながら見てたQさまの語句の意味問題が3割程度しか分からなく、自分の語彙力の低さにため息が込み上げてきました。(「空谷の跫音」なんて聞いたこともありませんでしたし...)

大学入ったら計画的に語彙力増やすよう努めます。

あ、伸び代ですねこれ。(コスパ悪いですけど)

 

 

他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
ージョン・ラボック

 

 

今日はこの辺で。ばいちゃ。 

二次まであと31日くらい

試験日が迫るといつもはもっと焦っちゃうんですが、いけそうな(受かりそうな)気がしてくると冷静さがわずかに保たれます。

「気がしてくる」とは勉強の質と量が伴っているということではなく、過去問等をいかに採れるか。そして、あと31日でどうにかなる伸び代があるかどうかで実感する事です。

 

ただ、京大を優先したいがために併願の過去問演習はどうしようか悩むところ。

私立の過去問をセンター前にやらなかったのがいけないんですが、今さらするのも無駄が多そうで気が進まない。例えば数学なら併願校にあるマークの問題やったら逆に頭悪くなりそうだったり、誘導があまりにも多い問は難易度は充分でも京大とは若干ずれてる気がする。英語は(長めの)下線部和訳も英作も併願で出してるとこはないし、英文慣れするためなら良いが京大で「合格に必要な点をとる」には31日という期間を考えれば非効率的。ただ、理科に関しては似てる部分も多分にあり、抜けてる知識の確認として使えるのでやっても問題ない。(ただ、京大の25ヶ年があるので演習量はそっちで満足しており、傾向を見る程度で終わりそう)

 

ということもあって私立演習は最低限にすることに決めました。(すでに併願は全校一年分ずつ解いてある)

とにかく31日をフルに使って「京大」に集中する。

あくまで目標を見失わないように。

(受けないのですが、北大の後期の過去問は京大と少し似てる上に難易度も少し易しめ、かつ、まあまあ面白いので練習として解いてます。)

理科8割とれるかなあ。数学は4つは完答できるように。英語と国語はとにかく書いて点をかき集める。そういう姿勢です。

 

あと、去年の経験より、京都は寒かった上に外で45分くらい待たされるので今年は厚着していきます。あとほっカイロも忘れないように。

 

冷えた指先を暖めようと自分の両手を会わせてみても僕の悲しみが行き交うだけで、それは祈りの姿に似ていた

ーMUGEN(ポルノグラフィティ

 

今日はこの辺で。ばいちゃ。